2009年6月19日金曜日

脳死は人の死

ようやく十数年ぶりに、使えない法律が改正された。

 参議院はこれからなのだが、ま、なんとか成立まで衆議院を解散しないでもらいたい。4法案も出るというへんてこな状態に陥って、あんまり期待していなかったが、A案で大差で可決とのこと。大変素晴らしいことです。「カビ臭い感情論に、眼前の消え入りそうな命の灯火の声が勝った」という気分だ。

 あらためて言う。脳死は「人」の死です。「ヒト」であれば人工呼吸器等で細胞レベルでの機能維持は延長される。しかし、機械的に全く同じ間隔で肺を動かし、同じ間隔で胸郭を膨らます物体を見た時に、その「もの」に人間性を感じるだろうか。脳の機能が停止している状況下(植物状態とは根本的に異なる)では、思索・思考する筈もなく、これは間違いなく「人」としてはなんら機能を果たさないことは明白である。それが、生きている人間か?

 人は考えるから「人」なのである。考えないのは「人」とは呼ばない。それでも実社会に巣くっているものどもは、ケダモノと呼ばれている筈である。考えずに行動しているのであるから、ほぼ脳幹のみで生命活動をしており、本能に従って動くのである。おそらく行動規範は3種類の欲のみであろう。食欲・性欲・睡眠欲だけである。これらを人と呼べるのであろうか?

 世間には、脳死の状態であっても、体温のあたたかさ故か、死んでいることを認めようとしない人々がいる。愚かで哀れな人々である。それが、看ている自分への陶酔か、死んだことを認めたくないという自身の我儘からきているだけで、はっきり言って自己満足以外の何ものでもない。本人と関係者で話が終わるのであればどうぞご勝手にというところだが、それを外に向かって話すのは止した方が身のためである。自らの愚かさをアピールするだけで、そこからは何も生むものがない。脳死者を家族に持っている方は、率先して臓器提供すべきである。例外があるとすれば、遠い未来で再生医療等が発達して、脳死をも超える技術が確立された時代に、脳死は人の死ではないといえる時ぐらいだ。脳死を認めたくない方々は、そんな時代が到来するまで自宅でなお且つ自費で脳死者を看ているといい。そんなわからず屋の自己満足のために医療資源を占有しないでもらいたい。全く資源の無駄遣いである。

 臓器提供することによって救われる命がいかに多いことか。わが国では明日をも知れぬ一万人以上が移植を待っているのだ。このレシピエント達が近い未来の社会でどんな活躍をするか想像してみるといい。これほどこの地球上に生を受けた人間として役立つことは、そうはあるまい。臓器提供という行動は、2つの不幸な出来事を合わせて、1つの幸福な出来事にすることである。授けた愛・託した希望・受けた恩、1つの幸福から連鎖的に沢山の幸福が生まれる筈である。

2009年6月16日火曜日

おもろい。Fraudulent 2009 H1N1 Influenza Products List

やるなFDA。

 詐欺リストですか。やるな。海の向こうの国のことだが、うらやましく思えるのはどうしてだろう。あ、そうか、わが国の当該部署がいまいちだからか。ふぅー。

Fraudulent 2009 H1N1 Influenza Products List