2011年3月30日水曜日
2011年3月29日火曜日
とうとう出てしまった。自殺者
コラテラルダメージとでも言うのだろうか、東電の幹部は! 30年手塩にかけて育てた土を数日で(数時間かもしれないが)、滅茶苦茶にしやがって。その怨みの念の深さは計り知れない。また、こんな悲惨なニュースを知っても何にも感じないのだろうかカンチョクトは、てめえのパフォーマンスのせいでここまでこじれたんだよ!
http://www.asahi.com/national/update/0328/TKY201103280468.html
2011年3月28日月曜日
何をやっているんだ道知事は
被災地から遠い長崎や神戸で、また、関西連合で非常にきめこまやかな支援をしている若しくはしようとしているのに、リストを出してはいどうぞ! はねぇーよ。道南から道東沿岸も被災しているとはいえ、死者1名で、東北や関東とは程遠い。ここは北海道の出番だろうに。当事者意識が薄いんじゃねぇーの"はるみちゃん"。これは再選危ういんじゃねぇーか。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/281457.html
2011年3月25日金曜日
2011年3月18日金曜日
クソマスゴミ。これが国営放送かね
馬鹿か!
以下、某国営放送より引用
避難の入院患者死亡 21人に
3月18日 4時49分原発事故による避難指示の対象になっている、福島県大熊町の病院の入院患者14人が避難所で死亡した問題で、別の避難所でも、この病院の患者7人が死亡していたことが新たに分かり、福島県が詳しいいきさつを調べています。
この問題は、原発事故で今月12日から避難指示の対象になった、福島県大熊町の双葉病院に入院していた高齢の患者など14人が、自衛隊の支援を受けて避難した福島県いわき市の避難所で死亡したものです。この病院には、寝たきりの患者など146人が入院していて、全員が今月14日と15日にいわき市や福島市などに避難しました。福島県によりますと、いわき市の避難所で死亡した14人のほかに、福島市などの別の避難所でも、あわせて7人の患者が死亡していたことが新たに分かりました。このうち、福島市の避難所で患者を診察した医師は「数日間、ほとんど治療を受けていない状態とみられ、避難所に着いたときにはひどい栄養失調状態だった」と話しています。福島県によりますと、支援に向かった自衛隊員が最初に病院に到着した際、院長ら3人がいましたが、患者らの避難には付き添わず、翌日の15日に避難する際には、院長ら医療関係者は見あたらなかったということです。院長は、福島県に対し「15日は隣接する村まで自衛隊を迎えに行っていた。警察から、原発で爆発があったので病院に戻るのは無理だと言われ戻らなかった」と話しているということです。あわせて21人の患者が避難先で死亡したことを受けて、福島県は、患者の管理などに問題が無かったか詳しく調べています。
引用終わり
ギリギリの極限状態で、現場で向きあっている人達に向ける言葉かね。邪魔するんじゃねーよカスども。本当のことを殆ど伝えねーくせして、なにをいっているんだこの連中は!
2011年3月14日月曜日
たまらんな:遠藤未希さん
東日本大震災:「早く逃げて」 命かけた防災無線
どういう方かは存じあげないが、涙がこみ上げてきた。以下毎日jpより引用
東日本大震災:「早く逃げて」命かけた防災無線…南三陸
「早く逃げてください」--。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。
「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。
難を逃れた町職員(33)によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。
遠藤さんは「(生き残った職員から)『未希さんが流されるのを見た』という話を聞いた。もうダメだと思う」とつぶやいた。
地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクションが鳴り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。
芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れた。車を降りて避難所の階段を上がった。遠藤さんもたまたま避難していた。
芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」
高台から見下ろす街は濁流にのみ込まれていた。【比嘉洋、写真も】
「早く逃げてください」--。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。
「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。
難を逃れた町職員(33)によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。
遠藤さんは「(生き残った職員から)『未希さんが流されるのを見た』という話を聞いた。もうダメだと思う」とつぶやいた。
地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクションが鳴り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。
芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れた。車を降りて避難所の階段を上がった。遠藤さんもたまたま避難していた。
芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」
高台から見下ろす街は濁流にのみ込まれていた。【比嘉洋、写真も】
引用終わり。
忘れてしまわないように、ブログに記させていただきます。合掌
2011年3月13日日曜日
ガンバレ現場の技術者
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110313-OYT1T00531.htm
とうとう現場から複数の病院送りが出たようだ。最悪の事態を回避すべく頑張っていたんだろう。もしかしたら、その命をかけていたのかもしれない(多分そうだと思う)。まずは、御苦労様でした。ゆっくり養生してください。そして残った技術者達にもエールと祈りを送ります。ガンバレ!
2011年3月12日土曜日
2011年3月10日木曜日
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